素でいられる時間が作れているか気になった話。
まだ市民プールが開いている時のお話です。スポーツジムのベビースイミング体験に行ってみたら結構楽しくて、実に中学生ぶりにプールに入ったのだけれど今ってどれくらい泳げるんだろうって気になり一人で市民プールに行ってみました。
道中でコンビニに入ろうとしている目が見えない人を見かけたので、困っていそうだなと思い声をかけました。扉を触って入り口を探していたから、
「中に入りますか?よかったら腕につかまってください」と。
そしたら手を握ってお願いしますと言われたので、そこからまずはレジへ誘導。何かのお支払いをされた。1万円を渡してお釣りは私が受け取り、その男性へ手渡し。お買い物も付き合って、大きな交差点を渡ってタクシーを止めて行き先を伝えてさようなら。
その間、少しお話をしたのだけれど、1年前にご両親が亡くなったこと、今はヘルパーさんが自宅へ来て手伝ってくれることを話してくれました。身内はおらず、家に他人をあげて身辺のお手伝いをしてもらわないといけない状況。ヘルパーさんで専門の方とはいえ、他人である。ヘルパーさんだって異動とかで担当が変わるかもしれない。そしたらまた一から信頼関係を築くのかな。
例えば私はお手伝いしている間にお金を抜くことだってできてしまうわけで、一期一会の出会いでその人をまずは信用するっていうのは時にものすごくエネルギーのいることなのかもしれないな、とも思った。
その男性は、心の底から安心して過ごせる時間、場所はあるのだろうか、と考えてしまった。人って皆、大なり小なり表と裏、オンとオフ、よそ行き顔と素顔があると思うのだけれど、その男性は心の底からくつろげる瞬間はあるだろうか。100%人を信じて委ねることはできるのだろうか。
その男性のことだけじゃなくとも、例えば義両親と同居でくつろげないとか、実は家庭でDVを受けて苦しんでいるとかそんな深刻な状況でなくとも、帰る場所がイコール穏やかでいれる場所ではない人ってもしかしたら結構いるかもしれないなぁ、辛いだろうなぁ。帰る家は安らげる場所じゃないとしんどいよなぁと。
そしたら我が家はどうだろう。我が夫はどうだろうか。ガミガミ言ってないかな、と振り返る。ものすごい他人事で勝手に心配していたけれども我が事であるかもしれない、とちょっと反省した。
夫が仕事の愚痴を言ったらしっかり受け止めて「お疲れ様、大変だったねぇ」と優しい口調でねぎらおうと思います。
ちなみに、プールは5メートルしか泳げなかった。壁を蹴ってスタートした瞬間吐きそうになった。水圧に負けたらしい。こんなはずでは。