うつりゆく心を書き留める。

こどものこと、わたしのこと、家族のこと。

出産の話。

とても今更だけれど、自分の出産について書き留めておこうと思う。

なるべく早く記録しておかなきゃと思っていたけれど今になってしまった。

入院中に日記に書き留めていたことと併せてもっと詳しく記録しておく。

 

2020年7月27日

・昼過ぎ

ついに”おしるし”が。実家で昼食をとった後、トイレに行ったらうっすら赤い血がショーツについていて、トイレットペーパーで拭いてもうっすらつく。これは…!ついにきた!うわー!と思いながら母に報告。お風呂に入っておかなきゃ!荷物の最終確認しなきゃ!と思いすぐに帰宅。なぜかクリーニングに夏物を持っていくことを使命のように感じ、わざわざ父に車を出してもらいクリーニング店へ。しばらく家に帰れないもんね、やることはやっとかなきゃ、と意外と冷静だった。ついに来たぞっていうワクワクする気持ちと恐怖心とがないまぜになった感じ。

 マサ夫に「おしるしキタ!お腹痛い!便秘かもしれんし赤ちゃんかもしれん」「マサちゃんのワイシャツ、首元の汚れとりもオプションでつけてあげたぞ、感謝せろよ」「お腹痛いのでとりあえずガトーショコラ作ってる」と余裕のLINE。

 

自宅のお風呂に入りながらまだ大丈夫だよね?大丈夫だよね?とドキドキ。陣痛が来るのは今日か、はたまた1週間後か。

 

・22時頃

ん…?これは陣痛?痛いぞ、いや不規則だから前駆陣痛?

 

・23時頃

これはやっぱり陣痛では…?今のうちに体力温存しておこう。マサ夫さんは寝ておいて!一人痛みに耐える。アプリで陣痛の間隔を測る。10分になったり7分になったり2分になったり3分になったり。ぜんぜん等間隔にならない。今私の体ってどういう状況?動揺する。寝ようとしても全く寝られない。

 

・7月28日3時前

いたぁぁぁい…!ぐおぉぉぉぉ…!と雄叫びをあげマサ夫を起こす。

産婦人科へ電話。「陣痛の間隔はどうですか?」「10分だったり2分だったりです」「破水はありますか?」「わからないけどない気がします」「ではまだですね、1時間後に電話してください。耐えられなかったら電話してきていいですよ」

え…痛いようもう耐えられないよう…心細くなる。

 

・4時半

トイレに行くと尿ではないなにかがちょろちょろと出たような気がした。尿かもしれないし破水かもしれない、分からない。陣痛も不規則だがだいたい5分切ったので電話。「陣痛の間隔が5分を切っていて2分になることもあります。破水したかもしれません」助産師さんより、「では来てください」

とにかく病院に行きたかった。家にいるのは怖かった。

 

車に半ば這って乗り込む。とにかく痛い。苦しい。怖い。陣痛が収まっている間も、次の陣痛が来るのが怖くて早く病院に行きたい。怖い。20分弱の道のりが永遠に感じた。早く早く…。

 

病院へ到着。マサ夫の腕にしがみついて体をひきずりながらナースステーションへ。部屋に到着し仰向けになって何か紙のようなものを股へ。破水の有無の確認。「破水しています。このまま入院です」

 

入院着のパジャマへ着替え、お腹周りに陣痛を測る機械と赤ちゃんの動きを測る機械の吸盤を付ける。陣痛の間隔をしばらく測定した後、いったん外す。

「水!水が飲みたい!」マサ夫、動揺し入院バッグからお茶を出すときにファスナーを破壊。今のうちにトイレにいっておいてください、と言われ這ってトイレに行きなんとか便器に座るも1滴も出ない。子宮が降りてくると膀胱を圧迫して排尿ができなくなるらしい。今のうちに出しておきましょうか、と言われ助産師さんに導尿してもらう。導尿は以前全身麻酔の手術をした時以来でものすごく痛かった記憶があるのに全然痛くなくて、この助産師さんすごいな、上手なのかな、と思う。

導尿の間はマサ夫は退出するよう言われ、その間に会社の上司へ電話。「今日生まれるかも知れないので休みます」

 

私は点滴も開始。説明をされたけれど記憶にない。

 

しばらく陣痛に耐える。いきみ逃し、マサ夫さん上手!ありがたい。お尻の穴あたりにテニスボールをぐりぐり当ててもらう。体の内側が異常に痛い時外から押してもらうと楽になるのはなぜだろう。そういえば肋間神経痛になった時もその部分を強く押すと楽になる。でも、助産師さんが退室してしまうと途端に不安になる。どうかずっといてください、と思いつつ長時間の戦い、他の仕事もあるのにそうはいかない。

 

・9時頃

マサ夫がもう一つの入院バッグを取りに行っている間に膜が破れて破水。バシャ!という音と共に股がびしょ濡れになる。「初産なのにとても進み方が早いですよ!12時くらいには産まれるんじゃないかな?」まだ3時間もあるじゃないか…もうやだ耐えられないとがっかり。普通初産は陣痛が始まって12〜18時間と言われているので早いほうだけれどとにかく痛くてそんなの関係ない。早く終わって。

そして出産のその瞬間までずっと吐き気が止まらなかった。込み上げてくる感じ。出そう。吐くことが怖くて飲み物も食べ物もろくに摂取できず。乗り切れないよ、ちゃんと食べて、と言われてかろうじて一口一口、カロリーメイトゼリーを含む。結局出産までに500mlペットボトル半分くらいとゼリー2パック分くらいしか摂取できなかったと思う。

 

そして、ここからが試練だった。

 

・10時頃

産道から赤ちゃんの頭がのぞいてからが長かった。赤ちゃんが大きすぎたこと、陣痛が弱かったことでなかなか出てこなかった。

頭が覗くと普通は早くて、特に経産婦は2回くらいの陣痛ですっと出てくるらしいのだけれど、もうすぐもうすぐと言われながらなかなか出てこない。もうすぐ、と聞きドクターもやってきたけれどこれはまだね、ということで再び退出。絶望。もうこの痛み苦しみから解放されたい。痛みって慣れないものだ。陣痛を測る機械で陣痛の値が上がりそうなのを見ながらくる!と怯える。1回の陣痛が終わる度に助産師さんへ「今どのくらいですか?あとどのくらいですか?」と聞く。助産師さんが丸を作って表現してくれる。さっきよりちょっと丸ちっちゃくなってない??早く、、、早く出てきて、、、「いきまず、深く呼吸しましょう」そんなの聞いてられない。毎度毎度大の方を出すときのようにうーん!と全力でいきむ。出ない。いきむ。今度こそ、出ない。次で出す。出ない。もうつらい。早く終わってくれ。気が狂いそう。「もう頑張れないです。痛い、無理、疲れた、もうやめたい」

陣痛の度に地獄の雄叫びをあげる。自分ってこんな声が出るのか、時々冷静に声を聞く。

 

またドクターがビデオカメラを持ってやってくる。

「おでこ出てきたよ」進んだ!「耳まで出てきたよ」進んだ!

「次でだそう!」ああああああ!「ちょっと陣痛弱かったね」「次でだそう!」あああああ!「いい陣痛がくるよ、まとう」ああああああ!「深く息をすって!いい陣痛がきたらそのまま息をはいて、でるよ!」あああああ!「いいよ!」

 

・おやつの時間

最後、おでこから全身出るまで1回の陣痛だった。今までで一番痛くて耐えられないほどの痛み。こんな痛いことってあるのかって驚くほどの痛み。今まで一番痛かったけれど最後の力を振り絞って一番頑張れた。全力で出てきて!!という思いを乗せた。うおー!!!産むぞー!!っていうやる気と追い込みがものすごいエネルギーになった。みなぎる力ってこれ。なかなか経験ができない類のものだ。そして出た瞬間に痛みがゼロになる不思議。今までのは何だったんだ?!と驚く。いわば痛気持ちいいの最高峰。終わりがあるから耐えられる。頑張れる。

 

「生まれましたよー!女の子です!」明るい声色の助産師さん。安堵。あぁよかった。そのときカーテン越しに見た空の明るさを一生忘れない。晴れてる。雨の予報だったよね。名前、決めた。そしてこの産みの苦しみをこの子も経験するのかな?ととっさに思った。

 

助産師さんが赤ちゃんの股の部分を支えて縦にして抱き上げ、仰向けに寝ている私に見えるようにしてくれる。

あぁ、ほんとだ、私の赤ちゃん。感情が追いつかず号泣。マサ夫に抱きつく。この時のマサ夫の瞳を忘れない。感動していた。揺れていた。

 

泣き声が聞こえる。あぁ…よかった。赤ちゃん。これから始まるんだ。

(私は見えなかったけれど夫いわく口に空気を送り込むような道具でシュッとしたら泣いたらしい)

そのまま抱っこさせてもらえた。私もパジャマのボタンを開けて裸で赤ちゃんも裸。触れ合った。感極まった。ものすごいこみあげるものがある。色々と難しいことは考えられないし複雑な言葉も出てこない。わぁーすごい!嬉しい、かわいい、頭が伸びてる大丈夫かな!そういえば赤ちゃんの温かさとか覚えていない。ぴとってくっついたことだけ感触を覚えている。

ドクターが写真をとるときに私の胸がはだけていたのか、パジャマで覆ってくれたことは記憶している。

 

そして赤ちゃんは仰向けに。私が抱っこして支えている状態でマサ夫がへその緒を切る。

感動に浸る間もなく、さささっと体重測定、身長測定。いつのまに赤ちゃんは服をきて帽子を被り私たちの元へ。マサ夫も抱っこ。マサ夫の方がいっぱい抱っこしてるのずるい。それから赤ちゃんはモニターを装着。2時間異常がないかモニターでチェック。

 

私は胎盤を出してもらう。ドクターから思いっきりお腹を抑えられ、「いたたたたた」痛み再び。ドロン!とばかでかい胎盤が出る。その後もお腹を抑えられまだですかまだ出しますか。そして切れた股を縫合。麻酔の後にチクチク。股越しに見届ける。「痛い!わぁ痛い!」後に知ったが、表面の皮しか切れなかったらしい。でも切り傷のような感じで治るまでにしみるから縫っておいた方がいい、というドクターの判断で1針縫ってくれたそう。

マサ夫は痛い痛いという妻には一切目もくれず赤ちゃんにべったり。可愛いですね、可愛いですねを連呼。横目で見るとこんな表情するんだっていうくらい顔全体で微笑んでた。父性が芽生える瞬間を見た。なにせお産が終わると余裕が出て周りを見渡せるんですよね。とてもいいことだ、マサパパ。妻から娘へ一瞬で乗り換えたな。彼の一番は間違いなく娘だ。それはそれでとてもいいことが。なんだかとてもホッとした。

 

助産師さんたちがどんどん出産の記録をしていく。「出血量が多量になっていますが羊水と合わせての数値なので問題ないですよ。」「子宮収縮剤使ったので書いておきますね」

 

「赤ちゃんにおっぱいあげてみましょうか」もうあげるのか!助産師さんに乳首をつままれる。痛い。赤ちゃんに吸ってもらう。うわぁ…わかるんだね、すごいなぁ。時間にして1分もなかったと思うけれど吸ってもらった。育児の第一歩だ。

 

赤ちゃんは生まれてすぐ泣けるし、瞬きもするし、ウインクまでしちゃうし、指を触れさせると握ってくれる。(ドクターいわく猿が祖先だからだそう』)蹴るし、くしゃみもする。目をキョロキョロさせる。目も合わせてくれる。さっきまで真っ暗なお腹の中にいたのに。水の中にいたのに。すごいなぁ。適応能力が半端じゃない。

 

胎盤見る?」とドクター。「いえ、いいです」と言うも「あとで見ておけばよかったってなるよ」と言われ「じゃぁ見ます」

夫婦で大きなトレイに入った胎盤を見る。ぐろくて近づきたくないそんな感じ。

50センチくらいあったかな?真っ赤でテラテラしててひだがたくさんあった。こんな大きなものがお腹に入ってたのか。

 

「ねぇマサちゃん、すごい勝手なこと言っていい?生まれるまであっという間だったね」「言わせて?どの口が言う」と笑う夫。

 

出産後もずっと同じ場所で全く動かず横になったままの私。そのまま小児科のドクターがやってきて赤ちゃんの健康状態をチェック。

心配になって頭が伸びてるのは直るか聞いたけど、すぐ戻るそう。お腹の中で成長しすぎて産道でつっかかっちゃって、赤ちゃんの頭は柔らかいから伸びちゃったんだって。よくある話だそうで安心した。

「健康状態バッチリ!足の動きバッチリ!」育てやすそう、いい子だね、可愛いね、と褒めちぎられた。嬉しいね。

 

夫はオムツの替え方も習う。

 

マサ夫、病院にきてからこれまでトイレにも行かず一切飲まず食わずの状態だったことを思い出す。「ごめん、、、お腹すいた、、、限界、、、コンビニ行ってきていい?」

一緒に頑張ってくれたんだね、乗り越えてくれたんだね、ありがとう。

 

ママの体の回復のため、面会は明日以降と言わたけれど伝える前に両親がフライングして病院にやってくる。私は立ち上がれないので会えず、夫が娘を抱っこして両親の元へ。

後日談・母「あなたに会いたかったのよ、どうしてるかなってよく頑張ったねって言いたかった。パパがひどく疲れていたからこれは大変と思って会ってすぐ帰ったわよ」

 

・20時頃

助産師さんよりコロナの影響もあり長時間の滞在ができないことを説明され、夫は帰宅。頑張ったね本当にありがとう。私は車椅子で入院中過ごす部屋へ。すぐ後に赤ちゃんも助産師さんから抱っこされて入室。前日から一切寝ていなかったけれど、そのまま母子同室。鍛えられますなぁ。

二人きりになって幸せが込み上げた。母になるんだ。ずっと幸福感で満ち溢れている。娘を見ているだけで涙が溢れる。幸せ。尊い。つい顔がほころぶ。産後の疲れや周りの人へ気遣いもあって落ち着かなかったけれど改めて実感。本当に幸せ。私たちの元にきてくれてありがとう。幸せ。こんなにも幸せって思えることがこれまでの人生にあったかな。なかったよ。こんなにも嬉しいことがあるのか。新しい感情を知る。

夫も実は生まれた瞬間涙を流していたらしいことがわかってくすっとなった。結婚式でも別れるんじゃないかっていうくらいのピンチの時も、感動系のテレビを見ても何しても泣かない人がね。

 

・23時

おっぱいのあげかたを習う。すさまじく痛い。驚く。乳首を吸われるってこんなに痛いの?助産師さんに「おっぱいマッサージちゃんとしてた?」と言われ「やってました!大丈夫です!」と強がる。

 

・7月29日3時

ナースステーションへ赤ちゃんを預ける。今のうちにしっかり寝なきゃ。

 

・7時

授乳。吸い始めがとにかく痛い。歯を食いしばって耐える。助産師さん曰く2週間くらいで痛みは和らぐらしい。今やめたら母乳が出なくなってしまう。今頑張らないと。歯を食いしばる。

 

この世に産み落とした瞬間からいっときも休むことは許されず母としての人生が始まった。とても幸せでとんでもない責任が伴うものだと感じた。その責任の重さに震えた。私は死ぬまで母として生きる。私たちが子供が欲しいと思ったから、赤ちゃんが生まれた。私たちの責任。一人の人間の人生を始めてしまった。とんでもなく大変なことだ。

 

母になりました。母にしてくれてありがとう。これからお母さん、あなたの為に頑張るからね。お母さんはとてもとても幸せです。